ワークプレイスの新トレンド、「アジャイルオフィス」って何?
ソフトウェア開発の手法の一つとして知られる「アジャイル開発」。本記事ではアジャイル開発について解説したうえで、オフィス運営にその要素を取り入れた事例を紹介する。
Facility, Culture
「アジャイル開発」とは何か
ソフトウェア開発の新たな手法として登場した「アジャイル開発」が、その枠を超え、様々な分野で用いられるようになっている。アジャイル開発とは、「Agile」が意味する「すばやい」「俊敏な」という言葉の通り、短い期間で実装とテストを繰り返し、開発を進めていく手法だ。
従来のソフトウェア開発は、「ウォーターフォール開発」と言われる手法が主流だった。これは、最初に全体の機能の設計と計画を決定し、その計画に従った開発・実装を経て、最後にテストを行う方法である。ウォーターフォール開発では、プロジェクトの最後まで顧客は製品を試すことができない。そのため、リリースしてみたものの顧客の要望とズレていた、あるいはアイデアがすでに陳腐化していたという事態も起こり得る。
アジャイル開発がウォーターフォール開発と異なるのは、「イテレーション(反復)」と呼ばれる短期間の設計・実装・テスト・リリースを繰り返し、顧客の反応を見ながら修正を重ね、品質を高めていく点にある。そのため、最初の仕様書では詳細な決定事項は記載されず、途中で変更が生じても柔軟に対応できる仕組みになっている。
「デジタル経済の将来像に関する調査研究」ITmedia エンタープライズ記事を基に作成。ウォーターフォール開発とアジャイル開発の比較
[出典:総務省「情報通信白書 令和元年版」より(2019)]
顧客の要求をすばやく反映しながら開発を進め、顧客満足度を高められること、それがアジャイル開発の肝となる。大量の詳細な仕様書を作成するよりも、要求の変更を歓迎し、顧客にとってより有用なソフトウェアをつくることを重視している。
近年、存在感を増す「アジャイルオフィス」
日本国内において、アジャイル開発はどの程度浸透しているのだろうか。バルテス株式会社が「日経×TECH Active」会員を対象に行った「アジャイル開発に関するアンケート調査」によると、アジャイル開発の取り組みを「実施中」と回答した人が50%、「検討中」とした人が21%となり、合わせて71%を占めたことが報告されている(調査期間:2021年3月~4月、有効回答数:101人)。
このように、「アジャイル」は、日本においてもソフトウェアエンジニアの間ではすでに一般的なものになっている。近年は業種を問わず変化のスピードが増しており、アジャイル開発の手法をビジネス戦略や組織運営に転用した「アジャイル経営」や「アジャイル組織」に取り組む企業も出てきた。
こうした動きのなかで生まれたのが「アジャイルオフィス」だ。その背景には、働き方改革の推進やコロナ禍でオフィスの役割が変化してきたことがあげられる。アジャイルオフィスとは、文字通り、「変化に迅速・柔軟に対応する組織を支えるオフィス」「部署をこえた柔軟なチーム編成を可能にし、コミュニケーションを促進する工夫が施されたオフィス」を指す。
では、どのようにしてアジャイル開発の要素をオフィスに取り入れればよいのだろうか。そのヒントとなる事例を、以下に紹介する。
1.【株式会社エウレカ】チームの生産性を高めるオフィス
恋活・婚活マッチングアプリ「Pairs(ペアーズ)」を運営するエウレカは、2017年から本格的にアジャイル開発を導入した。同社のオフィスも、その実現を促す設計となっている。
ユーザー視点の開発を行うためには、ユーザーのニーズを正しく理解し、認識を共有することが重要になる。そのため、自然に会話が生まれるよう、デスクを背中合わせに配置。さらに、スタンディング・デスクをチームに一つ用意して、会議室に移動しなくても気軽にミーティングを行える設計とした。
スタンディング・デスクには、複数人でプログラミングができるように、大型ディスプレイを設置。ソファスペースには大型のモニターを用意した。モニターを囲んでのスプリント・レビューではタフな質問が多く出るため、ソファ席を使い、なるべくリラックスした環境で進められるように配慮している。
画像は株式会社エウレカ 梶原氏のブログより
また、アジャイル開発では、チーム内のタスクや進捗状況、ワーキングアグリーメント(チーム内での決めごと)の共有などにホワイトボードが広く活用されている。同社では、180cm×180cmの大型のホワイトボードを導入しており、「やりたいこと」「検証」「要件定義」「開発」「QA」「リリース」「効果検証」の7つのステージで区切り、手書きと付箋で日々アップデートして視覚的に状況を共有している。
2.【TRI-AD】従業員のアイデアを取り入れ、成長しつづけるオフィス
トヨタ自動車株式会社の自動運転ソフトウェア開発を手掛ける、トヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社(TRI-AD、2021年1月よりウーブン・プラネット・グループに移行)。アジャイル開発を取り入れている同社は、2019年12月にオープンしたオフィスにおいても従業員の想いやアイデアを取り入れ、完成後も成長しつづけるオフィスづくりに取り組んでいる。
オフィスの設計にあたっては、希望する従業員が参加可能なワークショップやヒアリングを定期的に開催。そこで出た要望から採用されたのが、アジャイル開発に適したハニカム(ハチの巣)型のデスクレイアウトだ。中央には立ち会議ができるテーブルと大型モニターを配置し、チームが短時間で集まって会議ができる設計になっている。
また、パーソナルモビリティの導入も従業員のアイデアによるものだ。ストリートと呼ばれる廊下には道路のように白線が引かれ、パーソナルモビリティで移動することができる。気分転換になるのはもちろん、ほかのチームが何をしているのかを知ることで、インスピレーションを得る機会にもなっているという。
画像はトヨタ自動車株式会社のWEBサイトより
完成後も変化する従業員の希望に合わせて進化できるよう、「WISH STORE/WISH TOWN」というシステムを導入。「WISH STORE」に従業員がオフィスに対する希望(WISH)を登録し、ほかの従業員が共感した場合に「いいね」をクリックすると、「WISH TOWN」というバーチャルな街にそれぞれのWISHが建物として現れ、いいねが多くなると建物が大きくなる仕組みだ。
画像はトヨタ自動車株式会社のWEBサイトより
同社は、環境の変化に伴って働き方が変化するなかでも、社員がそれぞれに合った働き方でいきいきと仕事ができるよう、オフィスも進化しつづけることを表明している。まさに、アジャイルなオフィスの好例と言えるだろう。
3.【アイレット株式会社】クライアントと一体となるオフィス
アマゾンウェブサービス(AWS)を活用したシステムの構築・運用・開発を強みとする、アイレット。同社は、2017年にKDDIグループに加わったことをきっかけにアジャイル事業部を立ち上げ、2019年1月にはアジャイル開発の手法である「スクラム」に最適化した「虎ノ門スクラムオフィス」を開設した。
スクラムとは、ラグビーで選手同士が肩を組んで押し合うフォーメーションのこと。開発においては、クライアントを含めた共同チームを結成し、目標達成のために全員が協力して進めていく手法を指す。メンバー間でのコミュニケーションが重要であり、「虎ノ門スクラムオフィス」ではクライアントと一体となって開発を行うための工夫が施されている。
その拠点となるのが、3つ用意された「スクラム開発部屋」だ。壁一面がホワイトボード、机は一つが移動可能で、様々なプロジェクトに柔軟に対応できる仕様になっている。
画像はアイレットのWEBサイトより
スクラム開発部屋をフル活用している従業員は、「ユーザーストーリーを作成する際にどんどんと付箋をホワイトボードに貼っていったりすると、通常の会議室でミーティングをしているよりも意見数が増え、一体感が生まれる」と、その効果を実感している。
同フロアには、ラウンジなどが設けられており、クライアントも利用可能。常にチーム内外でコミュニケーションがとれる環境を整えている。
4.【セールスフォース・ドットコム】人と人とのつながりを生むオフィス
事例の最後に、アメリカ・サンフランシスコに拠点を持つセールスフォース・ドットコムのオフィスを紹介したい。
JBpressによると、2004年に株式公開を果たした同社だが、2006年頃にはそれまで開発してきた大きなソフトウェア資産が複雑化し、開発スピードが低下。それまで年4回だった新機能のリリースが、年1回しか行えない状態になっていたところ、アジャイル開発に切り替えて復活したという経緯がある。
すでにアジャイル開発が浸透していたため、新型コロナウイルス感染拡大への対応も速く、柔軟だった。パンデミック初期には従業員のウェルビーイング調査を行い、通勤の移動に伴う苦痛を理解し、2021年7月末までは自宅で働くことができると伝えていた。しかし、その後、従業員が選べる就業形態として「フレックス」「完全リモート」「オフィスベース」の3つの選択肢を提供する体制へと方針を転換している。
このフレキシブルな就業形態に対応するため、ワークスペースをコミュニティハブとして再設計する予定だという。机がずらりと並んだオフィスではなく、コラボレーションスペースやブレイクアウトスペースを備えた「コミュニティ・ハブ」として再設計し、リモートでは再現できない人と人とのつながりを育んでいく考えだ。
画像はセールスフォース・ドットコムのWEBサイトより
いわゆるSaaS企業(ソフトウェアでサービスを提供する企業)である同社と「アジャイル開発」の親和性は高く、もはや企業風土として定着しているのだろう。不測の事態における対応の仕方にも、それが影響したと考えられる。
柔軟な対応を可能にする、アジャイルオフィス
本記事で見てきた事例はいずれも、アジャイル型のソフトウェア開発を実践したうえで、オフィス運営にその考え方を応用している。変化が著しい時代において、柔軟な対応を可能にするアジャイル開発から、ソフトウェア開発分野以外の企業や組織人が学べることは少なくないだろう。今回はオフィスへの応用について紹介したが、社内の情報システムや小さなプロジェクトからアジャイル開発の考え方を取り入れてみるのも一案と考える。