ライフサイエンス業界におけるオフィスの再構築 | WORKTECHレポート
柔軟な働き方が広がる一方、ワークスタイルの切り替えが難しい業界もある。今回は、ライフサイエンス業界のオフィスや働き方に注目したWORKTECHのイベントを紹介する。
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混乱期を経て少しずつ社会が落ち着きを取り戻しつつある今、従業員がオフィスへ回帰する動きとともに、オフィス勤務とリモートワークを組み合わせたハイブリッドワークを採用する企業も見られる。しかし、業種や職種によっては柔軟なワークスタイルの導入に困難を伴うケースがあるのも事実だ。
そんななか、2022年6月1日に、WORKTECHのバーチャルイベント「LIFE SCIENCES WORKPLACE」が開催された。テーマは、「ライフサイエンス業界におけるワークプレイスの未来を探る」。WORKTECH Academyのコンテンツエディター・Kasia Maynard氏をモデレーターに4名のスピーカーを迎え、ワークスタイルの切り替えが難しいとされるライフサイエンス業界の研究開発部門を中心に、オフィスの再構築に関する具体的なアプローチや改善策について議論が交わされた。
スピーカー(アルファベット順)
Brad Golden/VergeSense
ワークプレイス分析プラットフォームのリーディングカンパニー・VergeSense社で、エンタープライズ向けカスタマーサクセスマネジャーを担当。異なる領域や部門をこえたグループづくりのあり方と、フロアプラン構築のアドバイスを行う。
Brandon DeWitt/Genentech
バイオベンチャー企業のGenentech社で、シニアディレクター兼ワークプレイス戦略・統合責任者を務める。研究開発からマーケティングまで全社的な職場環境の最適化をサポートしており、職場や自宅などどこにいてもコミュニケーションをとれる、柔軟な組織づくりに取り組んでいる。
Paul Tackowiak/Bristol Myers Squibb
バイオ医薬品企業のBristol Myers Squibb社で、ワークプレイスサービスを担当。時代の趨勢に合わせて、キュービクルモデルやオープンプラン、コラボレーションを重視したモデルなど、フロアプランに関する試行錯誤を重ねてきた経験を持つ。現在は、フレキシブル・ネイバーズと呼ばれる座席を指定しないモデルを実践中。
Sofonias Demsas/Bayer
医薬品メーカーBayer社における、グローバルガバナンスおよび企業不動産部門の責任者。ハイブリッドワークの実践に向けた仕組みづくりや、ワークプレイスの構成を担当する。将来的に価値のある多様な働き方とはどうあるべきか、あらゆるケースを想定しながらベストプラクティスを模索している。
ライフサイエンス業界のオフィスに起こった変化
Maynard氏 私たちのワークスタイルはまさに変革の過渡期にあります。一方で、ライフサイエンスの分野では全員を在宅勤務に切り替えるのは難しいかと思うのですが、パンデミックに対してどのように対応されたのでしょうか?
Tackowiak氏 まず考えたのが、どうすればBristol Myers Squibbが研究を続けられるのかということでした。そこで、シフト制を導入してラボに来る人数を制限したところ、意外とうまくいったんです。研究開発分野には独特な文化があり、そうしたワークスタイルの導入はなかなか難しい面もあるのですが、柔軟な働き方を気に入ってくれる従業員もいました。
DeWitt氏 Genentechでは、パンデミックが起こる7年前からフレキシブルな働き方やリモートワークツールを導入していたので、ハード面で困ることはほとんどありませんでした。ただ、研究開発部門の運用方法には課題があったので、これを機にもっと効率的な働き方ができないかを検討しました。特に、「チームメイトとどう付き合うか」「どうすれば知識を共有できるか」といった、コラボレーションのあり方について見直す必要があったんです。そこで、検討を重ね、現在は具体的な形へと落とし込んでいる段階です。
Demsas氏 Bayerも、パンデミック前から「コラボレートワーク環境」というプログラムを導入し、すでに移行を始めていました。職場のコラボレーションに特化したアプローチなのですが、パンデミックがその導入効果の可能性をさらに広げたと感じています。
ワークプレイスをどのように変更すれば、テクノロジーを活用しつつ、ハイブリッドワークを導入でき、専有スペースを削減できるのか。何度も実験を行ってその答えを導き出すことができましたし、CO2の削減など、サステナビリティの観点からもハイブリッドワークは有効だとわかりました。パンデミックは、従業員やリーダーの能力を向上させると同時に、物理的にもテクノロジー的にもワークスタイルを変革できるチャンスなのです。
Maynard氏 パンデミックの前から、ライフサイエンス業界ではアジャイルなワークスタイルが始まっていたのですね。課題となったのは、やはりテクノロジーの導入だったのでしょうか?
DeWitt氏 私の印象では、テクノロジー導入のハードルはそれほど高いものではありません。それよりも、従業員の「行動」のほうが問題です。チームメイトと足並みを揃えた働き方をしようとすると、ツールそのものよりも、その使い方のほうが重要になるからです。
例えば、パンデミックが起こったとき、オンライン会議などのコラボレーションツールの使い方を全員で共有できていませんでした。ツールはすぐに導入できても、それを使って「どうコラボレーションするのか」「従業員同士のコンセンサスはどう取るべきか」を考える必要があったのです。それを実践したうえでトレーニングを積み、同じ志を持つことができれば、ハイブリッドワークへの道のりは自ずと見えてくるでしょう。
Golden氏 私がVergeSenseで担当しているクライアントでも、テクノロジーは障害になっていません。課題の多くは、従業員の行動や運用方法にあると見ています。
Maynard氏 視聴者の投票でも、ハイブリッドワークを始めるうえで重視したのは「従業員の文化や体験」と回答した人が60%にのぼり、テクノロジーや効率的なワークスペースと回答した人の割合は低くなっています。ハイブリッドワークを成功させるためには、ツールの知識普及と運用方法の共有に時間をかける必要がありそうですね。
DeWitt氏 投票の結果に対して、特に驚きはありません。現在、人々はオフィスに戻りつつありますが、それでも「文化」は変わってしまったと感じます。この新しい状況に対して、私たちはどうすれば企業文化を支えていけるのか、どうすれば適応できるのか、疑問は続きます。ですが、これがニューノーマルなのかもしれませんし、ただそれに適合していくしかないのだと思います。
コロナ終息後も完全なオフィス回帰はない
Maynard氏 パンデミックの一時的な混乱期から、人々は落ち着きを取り戻してきていますが、完全にオフィスに戻るわけではないでしょう。アフターコロナ時代のワークプレイスのあり方について検討する時期が来ていると思いますが、どのようなアプローチが考えられますか?
Demsas氏 ニューノーマルの社会を正しく理解し、新しいバランスを見つける必要があるでしょう。私も今は手探り状態で、どうすればうまくいくか、分析しながら正しい答えを見つけようとしているところです。
DeWitt氏 ライフサイエンス業界には非常に多様なチームや文化があるので、一律のルールやマネジメントを適用すると失敗に終わると思います。研究開発のことを一番理解しているのは本人たちですから、私たちはサポートに徹するべきです。最適なアプローチは企業によって異なるでしょうが、研究開発チームにとってベストなものを引き出せるように努めています。
Tackowiak氏 この業界にいると、論文の発表数や獲得した助成金の額など、個人の成果や評判がすべてと錯覚しがちです。けれど、実際の製薬開発は何百、何千という人の協力が必要で、決して一人で成し遂げられるものではありません。
ライフサイエンス業界は、非常に柔軟な考え方を持っている一方で変化に慎重という、二律背反する性質があるので、新しいワークスタイルへの移行には時間がかかると思います。実行するタイミングは、各社の事情や財務状況によって異なるでしょう。ただ、一度「この方向性で行こう」と皆のコンセンサスを得ることができれば、話は早いですし、実現に近づくと思います。
Maynard氏 ここで、別の投票結果を共有します。「フレキシブルな働き方をどの程度社員に提供していますか」という質問をしたところ、60%が「全社的にアプローチを導入している」と答えた一方で、約3分の1は「特に決まった方針はなく、現在も実験中」と答えています。そして6%は「何もしていない」とのこと。もともとライフサイエンス企業のオフィスは広い敷地を持っていて、従業員を統合するためのスペースとして機能するように設計されています。そうしたスペースはもう不要になったのでしょうか?
DeWitt氏 そうは思いません。皆が、オフィスの存在意義を再度理解しようと努めているところではないでしょうか。オフィスは交流の場であり、コネクションをつくったり、人々が集ったりする場所です。これからもその存在意義は変わりません。ただ、その使い方が変わるだろうと見ています。
Demsas氏 私たちの実験結果では、空間の使われ方を正しく認識するツールが重要な要素になることが明らかになっています。例えば、1週間あたりの平均利用者数や、オフィスとリモートのどちらで働くかといったデータを取得するツールがあげられます。利用状況やアクティビティを把握できるデータを集めれば、「次世代オフィス」と呼べる標準ソリューションを用意できるでしょう。
Golden氏 同感です。空間に関する認知データは、人々がどのようにその建築のなかで相互作用を及ぼしているかを理解するうえで役立ちます。これを可能にするのが、センサー技術です。私たちのクライアントでも導入が始まっており、実際に専有スペースの統合や、スペースの有効活用に応用されています。なかには、どのパターンがベストなのか、A/Bテストに活用しているケースも見られます。
また、会議室やハドルスペース、デスクの最適な比率の割り出しに使っている企業もあります。これまでは定性的な情報収集に終わる期間が長かったのですが、今では定量的なデータを集められるようになってきました。
Maynard氏 ワークスペースの取り方について実験ができるようになってきたのですね。実験を通して明らかになったことなど、進展はありましたか?
DeWitt氏 Genentechの研究開発チームは、まだそのような段階には至っていません。一人につき一つのデスクが割り当てられたオフィスや、キュービクル型レイアウトのオフィスが主流です。
Tackowiak氏 Bristol Myers Squibbは、全社的にオープンなオフィスプランへと移行している段階です。研究室のなかには、オフィススペースと研究スペースが分かれておらず、安全衛生要件を満たしていない所もありました。そこで、汚染エリアである研究スペースを完全に分離し、ほかの場所と同じタイプのオフィススペースを研究室の外周に設置しました。PPE(個人用防護服)を着脱する場所も設けています。
現在の課題は、こうしたアプローチがすべてのケースに当てはまるのかということです。そして、その理解の助けとなるのがデータだと思います。実際に人々が机に向かっている時間のデータを取得できれば、例えば、稼働時間のうち半分しかデスクに座っていないといった事実がわかってくるでしょう。これは、誰もが納得できる「動かぬ証拠」です。実際の使用データに基づいて議論することが大切ですし、本来、議論はそうあるべきです。
Golden氏 どんな目的でデータを使おうとしているのか、なぜそれに取り組むのかといった背景を伝えることが、とても重要だと思います。また、プライバシーにも配慮する必要があるでしょう。私たちが収集するデータはすべて匿名となっており、特定の人物や行動パターンなどが保存されることは決してありません。データを抽出して収集し、それをダッシュボードに入れるだけです。
Demsas氏 特に、個人情報の保護に関する規制への対応が重要だと考えています。例えばドイツでは、労働者評議会や労働組合の要求にも応えなければなりませんが、規制と要求を確認すれば対応は可能です。実際に、私たちのソリューションはドイツでも導入されています。要件を分析するためには、非常に厳しいプロセスを踏む必要がありますが、テクノロジーは非常に柔軟ですからニーズに合わせて調整できますし、うまくいけば利益にもつながります。
ハイブリッドワークの確立に必要なのは、変化しつづけること
Maynard氏 ライフサイエンス業界で働きたい若い世代に対して、期待していることはありますか?
Tackowiak氏 バーチャル・コミュニケーション技術など、新しいテクノロジーを活用すれば、もっと違う働き方のアプローチが可能になるかもしれません。若い世代には、古い世代が考えつかないようなアイデアで、風穴を開ける存在となってほしいですね。ツールは進化しつづけていますから、いろいろな到達方法があっていいでしょう。
DeWitt氏 私も新しいツールの導入に賛成です。若い人ほど、ネットワークづくりやキャリア形成が大切ですから、自らメンターを求めたり、人に声をかけたりすることが重要になるでしょう。オフィスの廊下でばったり出会って話に花が咲くといった機会が少ない環境では、気軽に声をかけられて一緒にバーチャル・コーヒーを楽しめるような空間が必要です。
Maynard氏 デジタル化が進むと、プライバシーの問題だけではなく、侵害被害に遭うリスクも高まります。セキュリティの面で工夫していることはありますか?
Tackowiak氏 大企業の場合、標準化された技術はすべて慎重に監視されていますし、従業員と共有する前のチェックと安全対策が徹底されているので問題ないでしょう。しかし、従業員個人やグループが新しいテクノロジーを使いたいと思ったときは、少し困ったことになります。世の中に便利なツールはあふれていますが、セキュリティ要件を満たしているものは少ないからです。そのため、会社が用意したテスト済みのツールのみを使うことで、内部セキュリティの要件をクリアする体制をとっています。
DeWitt氏 Genentechは、メインとは切り離されたテストラボを持っています。つまり、メインとは別のサーバーでテスト用のラボ環境を用意しているので、何者かが侵入したとしてもメインに干渉しないんですね。さらにビーコンシステムを導入して、機器の使用状況や追跡監視も行っています。
Maynard氏 非常に重要な対策ですね。ライフサイエンス業界では様々な機密プロジェクトが進められていて、イノベーションも起きていますが、そのための余地がないという指摘もあります。オフィスを再構築するにあたって、さらに多くのイノベーションを生むと考えられる「共創スペース」の拡大は検討していますか?
Demsas氏 全社的にはそうした傾向にあります。オフィスでは、コラボレーションの機会が増えた場合や複雑なトピックに取り組む場面に備えて、すでに策定してあるコンセプトを実際に試しているところです。研究開発チームにも導入する必要があれば、同じように共創スペースの拡大を提案するでしょう。
Maynard氏 ここで、ワークプレイスに関する意思決定にどの程度データを活用しているかをたずねた投票の結果をご紹介します。約3分の1の人が、すでに「データを包括的に活用している」と回答しており、約3分の1の人は「可能性は確信しているが、まだ実行していない」と答えています。「データを実装する計画がない」と答えたのはわずか5%でした。つまり、大部分の方が、従業員とのオープンな対話と変化を促すためのデータが必須だと考えていることがわかります。では最後に、本日のセッションを通して伝えたいことを教えてください。
DeWitt氏 組織における変革を効率よく進めるための「チェンジマネジメント」は、現在ではアジャイルな考え方に切り替わっています。つまり、短期間でテストを繰り返して変革を進める体制が整っているのです。世の中がパンデミック前の状態に戻ったとしても、従業員をオフィスに取り戻そうとすることはないでしょう。全員がオフィスにいるわけではないことを受け入れる必要があると思います。
Golden氏 皆さんのお話を聞いて、ビジョンを持つことの大切さを改めて感じました。そして、データだけではなく会話も活用することが大切です。つまり、活気あるワークプレイスの実現について、オープンな対話を行う必要があります。そうした対話を通して、組織の様々な部分の重要性が見えてきますし、それを建築環境にどう反映すればよいかもわかってくると思います。
Tackowiak氏 過去を繰り返すことはないでしょうから、組織のなかでポスト・パンデミックに合う部分を探すと思うんです。ハイブリッドワークを導入し、成功させるためには、その性質や組織に及ぼす影響を見極める必要があるでしょう。変化は必然的だと考えます。
Demsas氏 今回、皆さんが私と同じ意見を持っていることがわかり、とても励まされました。そして、オフィスを改善するために、まだできることがたくさんあると感じています。従業員のサポートにつながるようなワークプレイスの改善について、ともにイノベーションを起こす方法を考えていけるといいですね。