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とりあえず“オープン”にすればいいんだっけ? 閉じた空間「休憩室」の復活が求められる理由とは

デトロイトの自動車工場の休憩室を舞台にしたトニー賞受賞作から考える、プライベートな“憩いの場”を取り払った今日の職場が失ってしまったものとは。

劇作家、ドミニク・モリソー氏による2016年初演のトニー賞受賞作「Skeleton Crew」(スケルトン・クルー)は、デトロイトの自動車工場の上階に設けられた一室を舞台にした、米国の演劇作品だ。2024年の夏にロンドンのドンマー・ウェアハウスで再演され、好評を博した。

2008年の世界的な金融危機前夜、先行き不透明な状況に直面する4人の黒人労働者を、深奥に迫る緊張感と見事な構成で描いた作品だ。遅ればせながら観てすぐに感じたのは、現在との共通点だった。仕事に尊厳や目的を求める主人公たち、曖昧で悪意を感じさせる態度の管理職、人種と社会的不公正を巡る問題、常態化したコミュニケーションの欠落、そしてさらなる破滅的な変化が間近に迫っている予感……。

しかし何よりも印象的だったのは、その舞台が工場の休憩室だけで完結していたことだった。組立ラインの音は常に聞こえてくるが、観客がそれを見ることはない。ブルーカラーの登場人物たちは休憩室で最新の噂話を仕入れ、電子レンジで食品を温め、ロッカーに物を隠し、口論・けんかし、泣き、揚げ句の果てには帰る家がないからと寝泊まりすらする。

仲間が集い人情味あふれる「休憩室」

そこは仲間が集う、温かくて人情味あふれる場所だ。だが、こうした休憩室や談話室は、今の職場には存在しない。会社中の目にさらされて個人的な会話がしづらく、あまり明確な境界線のない「休憩スペース」に取って代わられたからだ。

最初に談話室を廃止したのは大学だ。研究者たちはその分、即興的に共同作業を始められる選択の余地が狭まった。そしてすぐ、企業が後に続いた。よりオープンな環境がオープンな文化を生み出すと(多くの場合は見当違いに)信じたからだ。現在、閉じた空間である休憩室の廃止が実はそれほど素晴らしいアイデアではなかったと、最新の調査研究で示されている。

職場に必要な3つの異なる空間

フィンランドのオウル大学の研究者、ピーア・マルカネン氏とアウリッキ・ヘルネオヤ氏は、従業員50人規模の国内テック企業で、休憩エリアを共同でデザインする調査研究を行った。学術誌『Building Research and Information』の2024年6月号に掲載されたその論文は、働く人たちは休憩する空間に「明確なデザインの好み」を持っていると論じている。こうしたスペースは、オフィスの他の部分とは異なる特徴や性質がなければならないのだ。

フィンランドでのこの調査結果は、これまでの調査・研究結果とも一致する。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでの筆者の「Welcoming Workplace」(快適な職場)研究(2008年)もそのひとつだ。この研究では、職場に「集中用」「共同作業用」「熟考用」の3つの異なる種類の空間が必要だと提言している。

「熟考用のスペースでは、通常の職場環境のストレスや騒音から離れて回復できる……」

熟考用のスペースとは、職場デザインにおける“ミッシングリンク”(未発見の間隙)であり、「監視の目を気にすることなく気を散らすものもない中で、通常の職場環境のストレスや騒音から離れて回復できる閉じた空間」と定義づけられた。

「集中・共同作業・熟考」という空間モデルは、後にロンドンのタワービル「ザ・シャード」のフロアレイアウトの策定にも使用された。だが一般的には、オフィスの中で周囲から守られていた“隠れ家”的な休憩スペースは、全員がシェアする“共有地”に押され、徐々に消えつつある。

「ダイバーシティ(多様性)」「エクイティ(公平性)」「インクルージョン(包括性)」、特にニューロインクルージョン*を巡る配慮が今日、ますます求められていることを考えると、休憩室の廃止は合理的とはいえない。泣くことができるのはトイレだけ、という状況が正しいはずはない。

* 脳や神経の特性の違いを相互に尊重し、社会的に包摂するという考え方。

休憩室を復活させても、大きな経済変動の波から働く人々が守られるわけではない。「スケルトン・クルー」で描かれたドラマチックな対立がそれを物語っている。だがときには、休憩室の存在が“打撃”をほんの少し和らげてくれるかもしれない。

ジェレミー・マイヤーソン氏はWORKTECH Academy会長、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのデザイン科名誉教授。共著書に『Unworking: The Reinvention of the Modern Office』がある。


※本記事は、Worker’s Resortが提携しているWORKTECH Academyの記事「Why bringing back the rest room might just be your best idea」を翻訳したものです。