“女性原理”がカギとなる。ボノボに学ぶコミュニケーションと組織
平和的でユニークなコミュニケーションを図るボノボ。そんなボノボから、私たちヒトは何を学ぶことができるのでしょう。京都大学名誉教授の古市剛史さんに聞きました。
Culture, Style
アフリカ中央部のコンゴ盆地に生息する類人猿、ボノボ。チンパンジーと似た外見ながら、オスが好戦的であることで知られるチンパンジーとは対照的に、極めて穏やかで、争いの少ない平和な社会を築いています。そんなボノボの集団で中心的な役割を担うのはメス。ほかの集団とも食物などを通じて平和的なコミュニケーションを図り、また、生殖目的ではない性行動によってオスの攻撃性を抑えます。
今回、コミュニケーションやワークライフバランスなど、私たちや組織が直面する課題へのヒントを探るため、ボノボ研究の第一人者である京都大学名誉教授の古市剛史さんにお話を聞きました。類人猿のなかでもひときわユニークな性質を持つボノボから、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。
- 古市 剛史/ふるいち たけし
- 京都大学名誉教授、京都大学野生動物研究センター特任教授。1957年生まれ。京都大学大学院理学研究科修了。霊長類社会の比較研究を通してヒトの誕生と進化の過程を解き明かすべく、下北半島と屋久島のニホンザル、コンゴ民主共和国のボノボ、ガボン共和国のチンパンジーとゴリラ、ウガンダ共和国のチンパンジーなど、各地で野生霊長類の生態と行動について研究。著書に『あなたはボノボ、それともチンパンジー? 類人猿に学ぶ融和の処方箋』(朝日選書)などがある。明治学院大学教授、京都大学霊長類研究所教授を経て現職。
ヒトやチンパンジーと同じ祖先を持つボノボ。集団の中心はメス
――まずは、ボノボがどのような類人猿なのか教えてください。
古市 私たち人(生物学的な分類ではヒト)は、ヒト科のヒト亜科に属します。同じくヒト亜科に属するのが、ゴリラ、チンパンジー、ボノボです。同じ祖先を持つ類人猿ですね。
ボノボは、1929年にアフリカ中央部に広がるコンゴ盆地に住む新種の類人猿であることがわかり、観察・研究が始まると、オスとメス、オス同士、メス同士と、あらゆる組み合わせで行われる性行動が注目されました。
社会のつくり方もチンパンジーとは違い、たとえば、チンパンジーの集団は普段はバラバラに暮らしていますが、ボノボは常にグループで暮らします。また、2つの集団が出会ってもケンカせずに混ざり合います。これは、チンパンジーでは絶対にありえません。さらに、集団の中心がオスのチンパンジーとは反対に、ボノボの集団の中心はメスです。
――メスが中心の組織では、平和的なコミュニケーションが成立しやすいのでしょうか?
古市 生物学的に、オスは自分以外のものを排除して、繁殖を独占するように進化してきました。一方のメスにとっては、ケンカして自分も自分の子どもも傷つくことを考えれば、ケンカするより仲良くして安定した環境で子どもを育てるほうが大事です。特に哺乳類では、これが一般的な原理です。
たとえば、男性100人と女性100人がいたとしますね。男性は自分以外の99人を殺せば、100倍、子どもをつくれるわけです。でも、女性は自分以外の女性を99人殺したところで、食べ物を少し多く食べられるくらいで、子どもをそうそう増やすことはできません。
――ボノボのメスは「性」の使い方が特殊だと聞きました。
古市 そうですね。特に特殊なのがメスの「偽発情」です。たとえば、チンパンジーのメスが発情するのは、性成熟に達したあとの生涯の5%ほどの期間だけ。だから、発情したメスをめぐるオス同士の戦いが熾烈になります。こうなるとメスに選択権はありません。
一方ボノボは、エストロゲンの値は発情レベルに達していないにもかかわらず、性皮を腫らし周期的に発情します。偽の発情期ともいえます。その結果、発情期(偽の発情期含む)は性成熟後の30〜40%ほどと長くなります。そのため、集団のなかで力のあるオスがメスを独占することもなく、多くのオスが交尾の機会を持てます。ボノボは、メスが偽の発情をすることで、オスの攻撃性を弱め、争いを抑制しているのです。
――ボノボには、食物を介したコミュニケーションもあるそうですね。
古市 食物分配行動ですね。彼らが暮らす森は比較的豊かで、他者から食物をもらわなくても十分に自分で採ることができるのに、あえて食物を介するのは、食べ物を「もらう・あげる」という行動を通して相手との関係をつくる側面があると思います。人の感覚に近いですよね。
穏やかな組織へのカギは女性原理にある
――長年、ボノボを研究されてきた古市先生から、人はどのような生物に見えますか?
古市 あちらこちらで争いが起きている今の世界を見渡すと、ヒトはなんてひどい生き物なのかと感じざるをえません。そして、争いの主導者はほぼ男性です。つまり、オスの基本的な性(さが)や行動特性をストレートに出したら、攻撃的な組織になるということでしょう。
ただ、これがチンパンジーなら、せいぜい隣の集団をやっつけるくらいなんですよね。相手を攻撃すれば自分も傷つくかもしれないから、攻撃性には自ずとブレーキがかかるし、争いに消費されるエネルギーは自分が食べた分からしか得られません。
一方、テクノロジーの進化したヒトの世界では、自分の身を危険にさらさず安全な場所から相手を攻撃できますし、胃袋を介さないエネルギーを使えるため攻撃も無限大です。攻撃性に歯止めが利かなくなるわけです。
――平和的な組織をつくるために、人はボノボから何を学べるのでしょうか?
古市 望みがあるとしたら、ボノボのように、「女性原理」を発動させることだと思います。先に述べたように、生物学的な原理では、争いはメスのインセンティブになりませんから。企業も、組織における女性の割合や女性役職者の割合が増えるだけで、おそらく変わると思います。
最近、国家のトップにもノーベル平和賞の受賞者にも女性が増えてきたのは、「男性に任せても平和にならない」「ヒトの性(さが)をこのまま解き放ったらとんでもないことになる」ことを世界が認識し始めたからではないでしょうか。
利己であるヒトの救いは、「場を読み」「評判を気にする」能力
――組織を円滑に機能させるカギの一つに「利他」の気持ちがあると思います。利他の気持ちについては、どう捉えていますか。
古市 動物は基本的に皆「利己」で、ヒトも同じです。生物学では、純粋に「利他」的な行動の存在は否定されています。なぜなら、自分が損をしても相手に得をさせるという利他の行動をとる遺伝子は残らないからです。ですから、穏やかに見えるボノボにも利他の概念はありません。
いくらルールをつくって「社内ではケンカをやめましょう」とか「部署内では皆で協力してやりましょう」といったところで、基本的には皆、自分が得をしたいと思っているのだから難しいですよね。ルールを破ることが自分自身の不利益にならない限り、男性的な攻撃性は抑えられません。
ただし、人が組織を円滑に機能させるにあたっては希望があります。生物学的な視点から考察すると、ヒトに利他的な行動が生まれるのは、「評判遺伝子」とでもいうものが働くためといえます。ひどい行動をとって悪いレッテルを貼られ、社会的に立ち行かなくなったりパートナーが見つからなくなったりすれば、自分の遺伝子がうまく残らなくなる。それがヒトの行動をある程度抑えることにつながるのです。
僕は、この評判遺伝子こそ、組織運営にとって最も大きなカギだと思っています。「場を読む」のは人が持つすごい能力ですよね。それを大いに発揮させれば、それが小さな集団であっても職場内であっても、攻撃性や競争性をある程度抑えることができるのではないでしょうか。
――古市さんはご著書で、「ボノボでありたいけど、自分はチンパンジーかもしれない」とおっしゃっていますね。
古市 自分の競争性を振り返ると、やはりチンパンジー的だと思うのです。でも、競争ばかりしていたら誰でも疲れますよね。会社であれどこであれ、ニコニコして平和的に生きられるのならそのほうがいいはずです。
「働く」といえるかどうかわかりませんが、ボノボが採食などに費やす時間は1日のうち3時間あるかないかです。それに比べて、なぜ人はこんなに忙しいのでしょうか……。
僕が大学で教鞭をとっていた時、学生たちに「今自分がいちばん価値を置きたいものは何か」というテーマでレポートを書かせたところ、多くの学生が「自由な時間」と書きました。彼らはかなりの時間をアルバイトに費やしている。それも生活費ではなく遊ぶために稼いでいる学生がほとんどです。つまり、「生きる」以外のプラスアルファの贅沢を手に入れるために時間を使い、その結果、不自由になっているのです。それは大人たちも同じでしょうね。大いなる矛盾です。
ただ、現代人もここにきて、少し変わってきていると思います。休みをしっかりとり、出世より自分のスタイルを貫く、という人が増え、会社や組織がそれを許容するようになってきています。飽くなき利益を追求した結果、利益を使う暇もなくなるという矛盾に皆が気づいてきたのでしょう。会社も僕らが働く環境も、良い方向に変わっていくといいですよね。