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オフィスに選書を、働く傍らに本を。選書家・川上洋平さんに聞く、「心に触れる」人と本の関わり方

ワークプレイスに本、本棚があると、どのような効果があるのだろうか。本、読書、選書…… 「人と本の間をつなぐ」をテーマに活動を展開する選書家・川上洋平さんが考える、本と働くことの関係性とは。

情報があふれ返る今だからこそ、心と向き合う時間をつくることが必要になっています。ページをめくると、思いもよらない世界に出会える「本」。この記事では、「オフィスの書棚は一人ひとりの中にある“働く”を刺激し、内に秘めているポテンシャルを引き出す力がある」と話す、選書家の川上洋平さんにインタビュー。オフィスに本があることの効用や、本と働くことの関係などについてお聞きしました。

多様な時間軸の世界の結晶、それが本

──本を読み始めたのはいつ頃ですか?

川上 実は私自身、小さな頃に本をたくさん読んでいたタイプではありません。本に触れ始めたのは高校生の頃からで、まともに読んだ記憶があるのは大学に入ってからです。スラムダンク世代で、本に出会う前はバスケットボールに夢中でした。始めにしっかりと本を読んだきっかけは、失恋でした。

失恋してできた暇な時間とともに大きな「空白」を感じていた時期に偶然、装幀に惹かれて、スロベニア出身の世界的哲学者、スラヴォイ・ジジェクの本を手に取りました。フロイトやユングに並ぶ、精神分析・心理学の大家で、ジャック・ラカンの難解な思想を解説したことでも知られますが、私にとっては、失恋したあとの自分の心のあり様をわかりやすく言語化してくれたのが、ジジェクだったのです。

──難しそうな本を手に取られたのですね。

川上 そうですね。ただ本の難解さは、あまり大事ではありませんでした。偶然とはいえ、とてもよいタイミングだったと思いますが、ジジェクの本を読んだとき、内容を「頭で理解した」というよりも、読むことで自分のいまの「心のあり様」に気づかされるように感じました。最近改めて思うのが、本を読むことは、自分の心に触れることができるひとつの所作だということです。

本を読むといってもいろいろありますよね。例えば、ビジネス書や啓発書であれば、何か悩みがあってそれを解決するために読まれる方が多いのではないでしょうか。私は、このように必要なものを得ようとする読書を「頭で読む読書」と捉えています。

これもひとつの読書のあり方ですが、先ほど申し上げた「心に触れる読書」は、頭で読むのとは少し違います。直感に導かれたように書店で手に取ってもいいですし、誰かからすすめられた本でもいい。なるべくそこに何があるのかわからないまま手に取る方がいいですが、読み進めていくうちに、だんだんと自分の奥深くで思っていることや感じていることが、本の言葉に共鳴して感じられてくる。「頭で読む読書」はある程度予測した内容を学ぶのに対して、「心に触れる読書」には、本を読む前には想像していなかったような気づきや発見があります。

選書家の川上洋平さん

──そんな川上さんにとって本のある空間とは?

川上 私にとって本のある空間とは、神社やお寺に近いですね。たまに本屋さんが自分の居場所のように感じられるという方がいますが、本棚には異なる時代のさまざまな人の言葉が詰まっているからでしょうか。なんだか落ち着く雰囲気があります。それこそ今、ダイバーシティという言葉がありますが、本ほど多様性のある世界が収まるメディアはほかにはないと思います。

それぞれの本は、ジャンルやカテゴリー、書かれた場所といった横の広がりだけでなく、書かれた時代もさまざまです。生きた場所も時代も違ういろいろな人の考えが結晶のように形になったもの、それが本なのです。神社やお寺もそうですが、とても長い時間や遠い距離を経たものがただそこにあるだけで、その場所には落ち着きを感じます。場所的にも時間的にも大きく異なる人たちの考えが、ひとつの空間に共に存在することができるのが、本のある空間ならではの大きな特性ではないでしょうか。

そもそも「本を読む」とは、どういうことか

──そもそも選書とは、どんなことをするのでしょうか?

川上 一般的に選書と聞くと、「皆さんが知らない本を紹介してくれる」といったイメージがあるかもしれません。しかし、ただ知らない本を紹介するだけでは、かなり本が好きな人でないと手に取ってはくれません。

まず、同じ本を手にするにしても、どのように本と出会うのかによって意味合いは変わってきます。例えば、誰かからすすめられた本であれば、嫌いな上司からか、尊敬する上司からか、すすめられた相手によって、本の印象は大きく変わってしまいます。「本の出会い方」は、本の内容以上に読書体験に影響を与えることがあります。

また「本を読んだ」と一口に言っても、一応全部読み通した「読んだ」と、ほぼ暗記するくらい読み込んでいる「読んだ」は、全く別の「読み方」です。とはいえ、本を深く読めばいいということではなく、拾うようにさまざまな本を読まないと気づかない発見もありますし、どんな経験を持つ人が読むかによって、同じ本でも感じることは変わります。

つまり何を言いたいかというと、「本の読み方」にもさまざまな深さがあり、それぞれの「読み方」に、別の気づきや愉しみがあるということです。

ちなみに、「本当の意味で本を読み切れるのか?」と聞かれたら、「人生で1冊の本すら完全に読み終えることはできないのではないか」というのが、いまの私の答えです。

──改めて問われると「本を読む」ことの解釈は、千差万別ですね。

川上 そうですね。多くの人は、最初から最後まで通読したことを「本を読んだ」と捉え、その固定概念に縛られているように思います。そのせいで、本を軽い気持ちで手にすることができなくなっているのではないでしょうか。「本を読み切る」なんてことは到底できないと気づけば、本の中の一節に触れるだけでもいいですし、何度も読み返すごとに新たな愉しみが感じられると思います。

選書ではよく本そのものに焦点が当たるのですが、私の場合、人と本の間に焦点を当てて考えています。本が「面白い」と感じられるときには、必ず読んでいる人の中に、「面白さ」を感じる要素があります。それは、その人自身も忘れてしまっていたような深い部分にある経験や感情だったりします。

読書しているとき、本と人は共鳴しあっています。本を読んで「面白い」と感じたときに、面白い本に出会えた、と思って終わるのではなく、「面白い」と思う自分の心のあり様に気づくと、新たな可能性がひらかれます。

仕事によっては、「1. 本を手にする」「2. 本を読む」というプロセスだけに関わることもありますが、本から気づきが生まれ、読む人の可能性がひらかれる、ということは、選書をする根元にある大事にしているポイントです。

川上さんが考える「選書」の概念図

──選書以外にも、本に関するワークショップを開いているのですよね。

川上 はい、ワークショップでは、参加者にはなるべく思い入れのある1冊の本を持ってきてもらうのですが、文字の本だけでなく、マンガでも絵本でもOKにしています。テーマは決めないので、本のジャンルはバラバラ。どういう本なのかをお互いに共有するために、一人ひとりに本の話を聞いていきます。本の話といっても、本の内容ではなく、参加者の方が本を読んで感じた読書体験を聞くのです。

本の話をするというと、本そのものを重視しがちですが、読書という行為には必ず読む人が介在します。本のあらすじや内容など、本だけの話ではなくて、参加者がどのように本と出会い、何を感じたのか、人と本の関わるところに焦点を当てて話を聞くと、その本を読みたくなるとともに、読んだ人に対しても興味が湧いてくるから不思議です。

企業のワークショップでは、ファシリテーションの立場で話を進めることが多いのですが、参加者の中には、「核心に向かって話を聞くのが少し怖い」という声が上がることもあります。今の時代、パワハラといったリスクもありますからね。でも、相手の懐へ踏み込み心の声を聞かないことには、心理的安全性は得られません。もちろん、話したくないことは話さなくていい。ただ本の内容に関するディープな話を聞くのではなく、その人がその本をどう捉えたのかに耳を傾けるのが重要です。語られた言葉が、文字にすれば一般的なものであったとしても、心からの思いが発せられると、ものすごく力強く感じられます。おそらく、その人の人生に本の話が重なっているほどに、聞く側の心にも深く響くように思います。

ワークショップで参加者に本を読むことについて問いかける川上さん

選書の基準は、「心の領域」に本をひもづけること

──オフィスに本や書棚があることには、どのような意味がありますか?

川上 昔と比べると、オフィスは随分とキレイで便利になりました。おそらく、頭で考え得る理想的なオフィスは実現しつつあるのではないでしょうか。一方で、心を満たし、不安をなくすような居場所は、オフィスに限らず、少なくなっているように感じます。特に若い世代の人たちと話していると、そのような居場所を求めている方が増えていると感じます。

そこで、直接的に仕事に活かされる本を置くというよりは、個々人の心の領域に本をどうひもづけるかを大事にしています。ただ書棚の本を眺める時間をつくるだけでもいいでしょうし、オフィスの本を借りられるような仕組みがあれば、自宅に本を持ち帰って読むことで、今の状況を別の角度から見つめることができるかもしれません。オフィスに本があることで、ささやかでも仕事とは別の流れから、自分の心を見つめるきっかけを差し出せる可能性を探ります。

書棚の効能が定量的に見えづらいのは、本が人の奥深いところにある心に関わっているからだと考えています。心の変化は、すぐには目に見えて現れません。時間が経ってから、ある本の言葉が自分を少しずつ変えていたことに気づかされます。そのためオフィスでは、なかなか心で感じたことを口にする機会は少ないと思います。ワークショップのあとに、「毎日、職場で会話はしているけれど、本当の意味で人と対話したのは数年ぶりかもしれない」という参加者の声を聞くこともあります。これからの時代、テクノロジーが進化すればするほど、心と心が触れ合う機会をつくることは、より大切になるのではないでしょうか。

──オフィスに置く本の選び方を教えてください。

川上  初めは企業の担当者様から要望をヒアリングするケースが多いですね。たまに社長さんがすすめたい本などを挙げてくれることもあるのですが、どうしても本棚の表面を飾ろうとしてしまうようなケースが多いですね。見栄えがいい本も必要ですが、「忘れていたけれど、社長さんがある事業を始めるきっかけになった本」などがさりげなく置いてあると面白いですよね。できるだけオフィスに関わる人々の想いを本に込められればと思います。

時には、その空間に関わる人たちが人生でとても影響を受けた話から本を選んだり、本をおすすめするカードを作ってもらって、カードを手渡しすることから本に出会えるような仕掛けを用意することもあります。「人と本の間をつなぐ」ことをテーマにしていますが、そこから、人と人がつながっていくことも意識しています。

香川県の邸宅ホテル「穴吹邸」の書架

忙しいワーカーにとって、本は「心の潤滑油」になる

──本とは、働くうえでどのような位置づけのものでしょうか?

川上  会社にいる時間だけでなく通勤の時間も考えると、働くことは、生活の大部分を占めますよね。本はまとまった時間がなくても、わずかな時間のスキマにも手に取りやすい、「心の潤滑油」のような存在です。通勤電車であれば、スマホでゲームをして楽しんだり、情報を集めたりする人も多いと思いますが、例えば詩集のような現実から離れた本を手にして、気持ちの「余白」をつくることもできます。週末にキャンプでリフレッシュするのもいいですが、なかなか休みが取れないときには、仕事の合間に「心に触れる本」を手にする。次の仕事に向けて頭を休ませつつ、「心を動かす潤滑油」になります。もしかしたら、その短いスキマがいずれ人生を変えることにつながるかもしれません。

──オフィスワーカーにおすすめの本1冊を挙げていただけますか?

川上 批評家で随筆家の若松英輔さん『本を読めなくなった人のための読書』(亜紀書房 )ですね。もともと育児用品の営業マンだった若松さんが仕事に忙殺され、本を手に取れなくなったという実体験にも基づいた本です。実は今日の話とも重なっているところが多いので、ここではあえて、詳細には触れないでおきます(笑)。今の時代は、本を読む人よりも、本を読まない、読めない人の方が圧倒的に多くなっているので、本が苦手だったり、あまり得意ではないと思っている方にこそ、ぜひとも手に取っていただきたい1冊です。

──働くことと本の関係のこれからについてどうお考えですか?

川上 本でなくても、自分の心に響いた言葉に出会ったり、心が動くような体験だったりは、誰しも経験したことがあるはずです。いつの時代にも、自分の心を見つめることは大切です。本を読むこと、特に「心に触れる読書」は、すぐに仕事の成果や売上に直結しないかもしれません。しかし、時間を長い幅で捉えるほどに、働くことにおいて心のバランスを保つことは欠かせません。本以外にも心を見つめることはできますし、読書にもさまざまな愉しみ方がありますが、今もこれからも、人々の心を豊かにする循環をつくることは、本の重要な役目のひとつなのではないでしょうか。

地中図書館(千葉県木更津市の「KURKKU FIELDS/クルックフィールズ」内)

この記事を書いた人:Noriko Matsuba