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健康に働くためのオフィスづくり。 千葉大・林先生に聞く、“ウェルネスオフィス”という発想法

“健康に働く”とはどういうことか、そのためのオフィスはどうすれば実現できるのか──。
そのポイントや仕組みづくりについて、第一線で活躍中の有識者にオフィスマネージャー起点で掘り下げてもらった。

経済産業省が健康経営を推進するようになり、日本でも“健康に働くこと”に注目が集まるようになりました。健康経営では、ワーカーの健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することを提唱していますが、オフィス環境をつくるうえでは何をすべきなのでしょうか。そこで今回、建物内で働く人が健康的かつ生産的に活動するための環境性能を評価する「CASBEE-ウェルネスオフィス」の策定に携わった千葉大学の林立也准教授にインタビュー。健康に働くためのオフィスづくりの発想法とその仕組みについて伺いました。

“健康に働くこと”への関心が高まった

──なぜウェルネスオフィスが注目されるようになったのでしょうか?

 SDGsへの注目度が高まると同時に、投資先の選定にもESG(環境・社会・ガバナンス)の考慮が求められるようになりました。国際連合は2006年4月、PRI(Principles for Responsible Investment:責任投資原則)を公表しました。これは、持続可能な社会に必要な投資に関する行動原則です。PRIに署名した機関投資家は、「環境・社会・ガバナンス」に責任のある投資活動を行うことを宣言し、投資の意思決定にESGを反映させる必要が出てきたことが背景にあります。

──企業は投資を得るために、ESGへのコミットが欠かせなくなったのですね。

 2000年代初頭ごろから環境問題に注目が集まり、企業はそれぞれで取り組みを推進していました。しかし、建築単体としては、ESGにあまり貢献できていませんでした。そうしたなか、経済産業省は2014年度から東京証券取引所と共同で「健康経営銘柄」の選定を開始し、2016年度からは官民連携の日本健康会議と共同で「健康経営優良法人認定制度」の運営を始めます。こうした取り組みをきっかけに、日本社会でも少しずつ“健康に働くこと”への関心が高まっていきました。

──これらの取り組みだけでは不十分なのでしょうか?

 「健康経営優良法人認定制度」でも残念ながら、建築の話については触れられていません。建築の世界では、環境工学のように人が快適に過ごすための学問にも取り組んできました。建築分野がESGや「健康」に貢献できることはたくさんあるはずです。ただ、テナントビルなどに入居している企業が勝手に建物の大幅な改修を行うことはできません。ですから、健康に働くうえで建物自体が重要だということをまず、世の中で広く知ってもらい、入居前に建物の性能をよく検討して選んでいただかなければならないと考えるようになりました。

ESGについてもそうですが、何かルールや指標をつくっても、本当にいい仕組みでなければ一過性のものに終わってしまいます。建物の場合であれば、例えば定量的なエビデンスや費用対効果を数値化して明確にすることなどが必須と考え、「CASBEE-ウェルネスオフィス」(以下、CASBEE-WO)を開発することになりました。

建物の価値を数値化し、経営者の投資を促す

──米国ではビルやオフィスなどの空間を「人間の健康」の視点で評価・認証する「WELL認証(WELL Building Standard TM )」が2014年に米国で始まりました。CASBEE-WOの評価軸を策定するときにWELL認証を参考にしましたか?

 もちろん参考にしていますが、CASBEE-WOは「WELL認証」に対抗するという視点で策定していません。日本で実際に活用してもらえるような評価軸を作成することがより重要だからです。

例えば、米国では「LEED*というものがあります。建物の総合的な環境性能を評価するものですが、大手企業がブランディングの一貫として認定を受けているケースが多いです。環境や健康に配慮している職場で働けることを証明し、優秀な人材の獲得につなげているのです。しかし、日本ではまだまだそうした文化が醸成されているとはいえないのが実情です。

──どういった問題がありますか?

 世の中の変化にかかわらず、例えば暑がりと寒がりの人がいますよね。光や音もそうですが、感じ方には個人差があるのに、大半の人は周囲の「誰か」に合わせて快適に働くことをあきらめていることが少なくないのではないでしょうか。見た目のいいデザインのオフィスをつくることとは別に、健康に配慮したオフィス環境でないと、地味に、しかしシビアにワーカーの健康に効いてきます。

──確かに毎日のことですから、積み重なると大きくなりそうですね。

 体調が悪いときに、暑いもしくは寒いオフィスに頑張っていこうという気持ちになるのは難しいですよね。オフィスの快適性がワーカーに与える影響はすごく大きいわけです。にもかかわらず、基盤としての建物に対する客観的な評価や指標がないので、経営者は投資しにくい。ですから、建物自体を数値化して「価値化」できるようにしなければなりません。漠然と「快適」の重要性を訴えるのではなく、客観的に見たときに本当によいものであると証明するための評価軸が必要で、それが市場で浸透していかなければ、ワーカーの快適性を担保できるようにはならないのです。

──CASBEE-WOのデータを活用してどのようなことができるのですか?

林 CASBEE-WOのデータを使うと統計的な分析ができるので、例えば賃料や株価などとの関係性をひもとくのにも役立ちます。最近、東京証券取引所がPBR(Price Book-value Ratio:株価純資産倍率)を1未満の企業に改善を要請して驚きましたが、良質なオフィスをつくると、例えば5年後にその企業のPBRが倍になるというような裏付けが取れたりしたら理想的ですね。現在、若手の研究者と連携しながら、オフィス環境の改善がPBRの向上にどのような効果があるか研究しているところです。

オフィス環境でいえば、CASBEE-WOのアンケート版であるCASBE-オフィス健康チェックリスト(CASBEE-OHC、職場の環境性能評価)による調査からこんな結果が出ています。ワーカーのワークエンゲージメント(ワーカーが仕事にポジティブな感情を持ち、充実している状態)をさまざまな角度から分析したものですが、そのなかで職場の環境性能とワークエンゲージメントに正の相関関係があり、しかもいわゆる福利厚生などよりも強い関係性があるとわかったのです。

図 ワークエンゲージメントと各要素の相関関係
【出典】福光真也・林立也(2023)「人的資本経営における職場の環境性能に関する研究:職場の環境性能と人的資本、企業価値の相関に関する分析」『日本不動産学会誌』37(2), 60-68より作成

経営方針を左右する、オフィスづくり

──CASBEE-WOをアップデートする予定はありますか?

 2019年4月に「CASBEE-ウェルネスオフィス評価ソフト」を公開し、現在は簡易版を作成しています。新築の建物はよいのですが、現状の仕組みでは既存の建物を評価することが難しいとわかってきました。評価の際に、建築当時の設計事務所に図面を提示いただくなどの工程が発生し、別途の調査費用がかかってしまうからです。こうしたことが壁となり、CASBEE-WOの認証に踏み切れないケースが多々あると運用し始めてからわかり、流動化している既存の建物でも認証を受けられるような簡易版をつくることになったのです。

──今後のビジョンを教えてください。

林 今後のビジョンは、大きくいえばSDGs達成への貢献です。その一環として、例えば、良質な建物が評価されるようになれば、そうした建物が企業から選ばれ、ひいてはワーカーも家族の皆さんも健康になれる。日本でもそんな文化を根付かせていきたいですね。そのためにも、エビデンスを集められる仕組みを整えたうえで、よい建物への投資が企業の成長にもつながることを定量的に証明してウェルネスオフィスの普及に努めていきたいです。

──最後に、オフィスマネージャーにメッセージをお願いします。

 オフィスマネージャーの方々は経営者の意識を醸成するうえで、いろいろな分析や裏付けを提示するなど重要な役割を担っています。オフィスをどうつくるかというのも大事ですが、それだけでなく、オフィスをどう経営に活かすかという観点でしっかりと経営者と議論していただきたいです。働く場をしっかりと握っている方々の方針や手法が経営にも影響することを心に留めてオフィスづくりをしていただけると、ワーカーにとっても企業にとっても、よりよいオフィスを実現することにつながるのではないでしょうか。

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