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世界のリスキリングの実態は? スキルギャップに備える大企業6社の支援策

今後求められるスキルと従業員のスキルにギャップが生じ始め、社内の「リスキリング」が注目されている。日本に先駆けてリスキリング支援を行っている世界の大企業6社の実例を紹介する。

首相の発言で知名度を上げたリスキリング

社会人の学び直しを意味する「リスキリング」。日本では、岸田文雄首相が2023年1月27日の参議院本会議で、リスキリング支援について「育児中など、さまざまな状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押ししてまいります」と発言し、SNSを中心に賛否両論が巻き起こった。これを機に、リスキリングという言葉の知名度が一気に上がったことは間違いないだろう。

岸田首相は同時に「人への投資の支援を5年で1兆円に拡大する」とも示した。これは成長分野へ働き手をシフトさせ、構造的な賃上げの実現を狙ったものである。しかし、実際に社内でリスキリング支援を始めようと思っても、何から取り組めばよいのかイメージが湧きにくいというのが実情ではないだろうか。

そこで本記事では、一足先にリスキリング支援が進められている世界の大企業を取り上げ、社員に対し具体的にどのような支援策が行われているのかを紹介する。

世界の経営者たちもリスキリングを重要視

従来からあるスキルアップとリスキリングとの違いはその目的にある。一般的に、スキルアップは従業員のパフォーマンスを最適化するために新しいスキルを教えることを目的としている。一方でリスキリングは、従業員が社内の別のポストに適応できるように訓練することを目的とするものだ。

このリスキリングが世界的に重要な課題として認識されているのはなぜか。それは「スキルギャップ」への懸念が関係している。スキルギャップとは、市場や技術の進化により、組織が求めるスキルと従業員のスキルに差があることを指す。

世界的なコンサルティングファームのマッキンゼーが行った調査によると、世界のさまざまな企業の経営幹部のうち87%が、スキルギャップにすでに直面している、または今後数年以内に直面する見込みであると回答している。この調査はコロナ禍前の2019年に実施されたものであり、現在では事態がより深刻化していることが予想される。

またマッキンゼーの別のレポートによると、人工知能とさまざまな自動化により2030年までに世界中で3億7500万人の労働者が職業を変えるか、新しいスキルを習得する必要があるだろうと推定されている。

このように、求められるスキルと既存の従業員のスキルの差に危機感を抱く経営者が多いなか、世界の大企業ではどのようなリスキリング支援を就業員に対して行っているのだろうか。ここでは6社の実態を取り上げたい。

世界の大企業のリスキリングサポート実例

1. AT&T(アメリカ/大手電気通信事業者)

アメリカの大手電気通信事業者であるAT&Tは、リスキリングの先駆者といえる。ビジネス専門チャンネルのCNBCによると、なんと2008年の段階で経営陣が従業員のスキルの検証を開始したのだという。

その結果、25万人の従業員のうち、ビジネスの変化の速度に対応できる科学、技術、工学、数学に関する適切なスキルをもっているメンバーは半数のみであることがわかった。さらに、約10万人もの従業員が、その後10年以内に時代遅れになるであろうハードウェアを扱う仕事に就いていることも判明した。

この結果を受けて同社は、2018年に従業員のスキルトレーニングに10億ドル(約1500億円)を投資することを決定した。

社内で「Future Ready(将来への準備)」として知られるこの取り組みには、CourseraUdacityといったオンラインコース、主要大学とのコラボレーション、従業員がこれから組織が必要とする仕事の種類を特定してトレーニングできるように支援するキャリアセンターなどが含まれる。

2018年の段階で、10万人の従業員の再教育を始動し、21世紀の競争に対応するための労働力の創出に取り組んでいるというのは、さすがの先見の明といえる。実際に同社は、コロナ禍以前にすでに、人々がどこからでも働けることを可能にするソフトウェア(AT&T Office@Handなど)をローンチしている。

AT&Tは140年以上の歴史を誇る老舗企業だが、時代を先読みし柔軟に対応してきたからこそ今の地位があるのだろう。

2. Amazon(アメリカ/小売業)

世界に約150万人の従業員を抱えるAmazonでは、2019年に「Upskilling 2025」という自社のリスキリングプログラムを発表している。10万人の在アメリカ従業員をトレーニングし、Amazon内外で需要の高い、高度に熟練した技術的および非技術的な仕事へ就くためのスキル習得を支援すると宣言したのだ。

当初、予算は7億ドル(約1100億円)であったが、2021年9月に12億ドル(約1800億円)に増額。2025年までに30万人以上の従業員にスキルトレーニングの機会を提供するとした

この「Upskilling 2025」には9つのトレーニングプログラムがあり、「非技術系スタッフの技術系キャリアへの移行支援」を目的としたものも用意されている。明言はされていないものの、配送センターの自動化による大量リストラを避けるためであることが見てとれる。単純な解雇ではなく、継続雇用や転職への道筋を提示してくれることは従業員にとっても安心だろう。

同社の特徴は、対象をフルタイム従業員に限らず、勤務開始から90日経ったパートタイム従業員すべてとしている点だ。それらすべての人々に大学に通うためにかかる学費を全額負担する支援も行っている。さらに2022年3月には、アメリカの複数の大学やオンライン事業者を含む180を超える教育プロバイダーとの提携を発表した

多くの従業員を抱え、解雇報道がたびたび世間を賑わすAmazon。同社のリスキリング支援がどのような未来をもたらすのか、今後も注目していきたい。

3. プライスウォーターハウスクーパース(イギリス/コンサルティングファーム)

イギリス・ロンドンを本拠地とする大手総合系コンサルティングファームのプライスウォーターハウスクーパース(PwC)は2019年、自社で働くすべての従業員のスキルアップを計画していると発表した。同社は「New world. New skills.」と名付けたこの取り組みに、4年間で30億ドル(約4500億円)を投じるとしている。

BUSINESS INSIDER」によると、この30億ドルは従業員を学びの場に戻すこと、デジタルトレーニングツールの開発、国連やその他の組織との連携により世界各国で従業員のスキルアップを支援するために使用される。

また、PwCグローバルチェアマンのボブ・モリッツ氏は、今回の投資は同社が「人材を引き寄せる磁石」になるために役立つのと同時に、世界の急速な変化により一部の仕事が時代遅れになった場合にも、現在の人材を維持するために役立つと述べている。やはりスキルギャップを解消し、将来の大規模なリストラを避けようという姿勢がうかがえる。

PwCのこの取り組みは、従業員にとって将来の助けになるだけでなく、不確実性の高い今の時代を生きる不安やストレスの軽減につながるだろう。また、自社の経験を生かし、組織人事やリスキリングを通じたクライアント支援を手がけていくという新たなビジネスへの投資にもなっている。

4. JPモルガン・チェース(アメリカ/金融業)

アメリカ最大の銀行であるJPモルガン・チェースのリスキリングへのアクションも比較的早かった。2014年、4年制大学の学位をもたない従業員の職能を上げるために、2億5000万ドル(約380億円)をスキルアップトレーニングに投資した。

そして5年後の2019年には、「New Skills at Work」と呼ばれる従業員のスキルアップ計画に3億5000万ドル(約530億円)を追加投資すると発表した。より多くの人々を支援し、より多くのコミュニティに質の高い教育と職業訓練プログラムを提供することに焦点を当てるためだという。

この予算は目的ごとに分割されており、2億ドル(約300億円)は「需要の高い技術系の仕事に就くための教育とトレーニングを行うプログラム」の作成にあてられた。成長産業における高賃金の仕事やキャリアの流動化につなげることが目的だという。

また1億2500万ドル(約190億円)は、「教育者と雇用主の連携強化」をめざし、コミュニティカレッジ(地域住民のための公立の2年制大学)を通じた既存のトレーニングコースの強化に使用された。本来なら公的資金を投入すべき分野に、いち企業がそこまで投資することに感嘆する。

そして残りの2500万ドル(約40億円)は、実用的な労働市場データの研究と普及支援に利用される。研究結果により、政府や企業が、人々をよりよいキャリアに導く教育訓練プログラムに予算を投入することが可能になるというわけだ。JPモルガン・チェースのリスキリングは、自分たちの組織のみならず広く一般の人材育成にまで貢献する規模の大きいプロジェクトといえる。

5. アクセンチュア(アイルランド/コンサルティングファーム)

アメリカ発祥で、現在はアイルランドに本社を置く世界最大級の経営コンサルティングファーム・アクセンチュア。ビジネスの規模も大きいが、リスキリングのスケールも同様に大きい。

2021年2月に開催された「Nasscom Technology & Leadership Forum 2021」において、最高経営責任者ジュリー・スウィート氏は「アクセンチュアは従業員のスキル再教育、トレーニング、学習の取り組みに年間10億ドル(約1500億円)近くを投資してきた」と表明したことを「TechGig」が報じている。

同社は2020年3月以来、テクノロジーサービスだけでも7万人以上をトレーニングしてきたという。そのトレーニングには、リモートコラボレーションツールに必要なホットスキル(需要が高い、または供給が不足しているスキル)も含まれる。

そして2023年6月には、あらゆる業界のクライアントがAIを通じて成長、効率化、業績回復を達成できるよう支援するため、データ活用とAIの実践に3年間で30億ドル(約4500億円)の投資を行うことを発表した

採用、ヘッドハンティング、トレーニングを組み合わせることにより、AI人材を現在の倍にあたる8万人まで増やす予定だという(ちなみに現在の従業員数は世界に約74万人)。彼らのクライアントのなかの、これからAIを積極的に活用したいクライアント企業は、しっかり時間と予算を投資されたアクセンチュアの専門家スタッフに対して安心感を覚えるのではないだろうか。

6. イベルドローラ(スペイン/電力会社)

ここまでの例は、IT分野のリスキリング実例がほとんどであった。しかし、リスキリングが必要なのはデジタル関連ばかりではない。世界的な気候変動により、エネルギー分野にも新たなスキルが求められている。スペインに本社を置く、再生可能エネルギーの世界的リーダーであるイベルドローラもその例にもれない。

同社は2022年、よりクリーンでスマートなエネルギーシステムを実現するために、「グリーンジョブ再教育プログラム」というリスキリングコースを創設し、2年かけて1万5000人の労働者を再訓練すると発表した

同社の会長イグナシオ・ガラン氏は、「依然として化石燃料に大きく依存している世界から、30年以内に実質ゼロエミッション(廃棄物の排出ゼロ)に移行する必要がある」として、その成功はこの10年にかかっており、同社の2つの中心的価値であるイノベーションと人材がその鍵となると展望を述べている。

また同社は、アストラゼネカ、ネスレ、SAPなどの企業と共同で、欧州連合(EU)における労働者のリスキリングを支援するパートナーシップ「R4E(Reskilling 4 Employment)」を共同主導している。

10年先、30年先を見据えるばかりでなく、EU全体のリスキリングをけん引するイベルドローラは、今後より一層の発展を遂げることになるだろう。

リスキリング支援を成功させる3ステップ

ここまで世界6社のリスキリング事情を見てきた。大企業だけあって投資額が桁違いであることは確かだが、各社にはリスキリングに対して以下の共通点があるように思う。

  1. 数年後、自社がどのようなビジネスを行うべきかというビジョンがあり、そのために必要なスキルを理解している
  2. 現在の従業員とのスキルギャップを把握している
  3. 1・2を分析し、必要に応じてリスキリングに投資している

この流れはどの企業にも共通しており、加えて現在の従業員への愛情も感じられた。もちろん新規採用のコストよりも現在の従業員のリスキリングコストのほうが安価だという側面もあるだろう。しかし、無用なリストラを避けようとする姿勢は、従業員の会社への信頼につながるものと思われる。リスキリングを検討する際には、上記のステップを意識してみることをお勧めしたい。

この記事を書いた人:Naoko Kurata