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人的資本経営に貢献するワークプレイスとは? メンタルヘルスの専門家に聞く、働く環境と心の関わり

人的資本経営に貢献するようなワークプレイスをどうつくり上げるのか。メンタルヘルスの専門家でベターオプションズ代表取締役・慶應義塾大学総合政策学部特任助教の宮中大介氏に、そのポイントや最新の研究動向などを伺う。

人的資本経営が注目を集める中で、従業員のワーク・エンゲイジメント向上や心理的ストレスの軽減を目指した施策が各社で取られている。働く人の心の状態を良好に保ち、採用や定着を促す取り組みに、オフィスをはじめとするワークプレイスはどのように貢献できるだろうか。

メンタルヘルスとデータ分析を専門とし、実務と研究の両面から心の健康や働きがいにアプローチする宮中大介氏のインタビューから、働く人のメンタル面を支えるワークプレイスづくりを考えていきたい。

コロナ禍で融合。物理と心理が交差するワークプレイス研究

「ワークプレイスと、メンタルヘルスやエンゲイジメントのようなワーカーの心理状態が関連づけて研究されるようになったのは、実はここ最近のことなのです」。宮中氏は最初にこう教えてくれた。

オフィスをはじめとする働く環境は人間工学などの分野で研究されており、物理的な空間設計や温湿度のような物理量が注目されていた。一方、宮中氏が専門としてきた労働者のメンタルヘルスは、主に心理学や産業精神保健学の分野で研究が進められてきた。ワークプレイスとワーカーの心理状態は別々の分野で議論が深められ、分野の違いのために両方を関連づけた研究は少数だったのだ。

その状況は、コロナ禍をきっかけに変わってきたという。出社制限やリモートワークが広まり、働く環境が大幅に変わる中で、コミュニケーションの減少や行動制限などによるメンタルヘルスへの影響が学術界でも注目されるようになった。産業精神保健学の分野でも、もともと扱っていたメンタルヘルスに対して、働く環境がどのような影響や効果をもたらすのか、一気に注目が集まってきた。

「ワークプレイスは、設備や環境といういわば働くうえでのハードな要素と、働く人の心理状態というソフトな要素が交差している場所です。その交差点は学術的にも新しく、実践面でも関心が集まるとても面白い領域になっています」

株式会社ベターオプションズ代表取締役で慶應義塾大学総合政策学部特任助教の宮中大介氏(本記事内の写真はすべて株式会社イトーキの本社オフィス兼ショールーム「ITOKI TOKYO XORK」にて撮影)

オフィス投資額に比例する、会社への愛着

建築や人間工学の分野でも、ワーカーの生産性や心理状態への関心が高まったことから、心理学や産業保健領域との連携が始まっている。

宮中氏も、オフィス設計を手掛ける株式会社イトーキとともに、採用や離職といった人事面の要素と、オフィスへの投資との関係を調査するプロジェクトを推進中だ。特筆すべき点は、離職意向や長期就業意欲に対して、オフィスの快適さが一定の影響を与えていると見えてきたことだ。

株式会社イトーキが2023年12月に実施した国内でオフィス勤務をする約5,000人のワーカーを対象とした調査によると、長期就業意欲が高いワーカーでは、自身が勤務するオフィスにより高い快適性を感じていることがわかった*¹。ここでの「快適性」は、仕事のしやすさや照明の心地よさ、音や臭いによる不快感のなさなどを総合的に評価したものだ。

さらに興味深いことに、自社がオフィス用品にお金をかけていると実感しているワーカーや、オフィス用品が定期的に更新されていると感じているワーカーでは、快適性のスコアが高いという結果が得られた。こうした結果を踏まえると、オフィスに対する投資を積極的に行っている企業ほど快適性が高く、ワーカーが長く働きたいと感じやすい職場であるという図式が見えてくる。

「離職や勤続に関しては、職場の人間関係や待遇が大きな影響要因として扱われてきましたが、今回の調査ではオフィスという物理的な環境の影響を見出すことができました。働く環境と心理状態の関係はこれまで『どのくらい快適か』というところにとどまっていましたが、定着や離職のような人事面で重要なテーマに踏み込むことができたのは画期的だと思います」と、宮中氏は調査結果を総括する。

ワーク・エンゲイジメントを高めるオフィスづくりの工夫

人事領域で近年注目されている「ワーク・エンゲイジメント」に対してワークプレイスがもたらす影響についても、世界的に研究が進められており、宮中氏は関連する知見を紹介してくれた。

ひとつは、Activity Based Working (ABW) の効果だ。伝統的なオフィスでは、部署やチームごとに固定席をまとめた島型の設計が取られてきたが、ABWではミーティングや集中作業といった活動の内容や目的に応じて、ワーカーが働く場所を選択できるところに特徴がある。ABWによる環境の変化や、働く場所の選択にワーカーが自律性を発揮できることが、ワーク・エンゲイジメントの向上にもつながると見られている。

宮中氏の研究チームでは、ワーク・エンゲイジメントと相反する特徴をもつ「退屈さ (boredom)」にも注目している*²。変化や自律性といったABWの特徴は、働くうえでネガティブに作用しやすい退屈さの低減にも効果があると見られる。

オフィス用品との関連だと、日本のホワイトカラーの座位時間の割合が高い群では、低い群と比較してワーク・エンゲイジメントが低かったという報告もある*³。座る時間の長さは糖尿病やがん、心血管疾患などへの影響が指摘されているが*⁴、身体的な不調のみならず、働きがいのようなメンタル面にも影響するのは興味深い。対策として、スタンディングデスクの活用などが提案されている。

座位時間が短い人でワーク・エンゲイジメントが高い背景には、歩き回ることで周囲の人とのコミュニケーション機会が生まれることや、集中タスクからふと離れたときに創造的なアイデアが生まれやすいことなどが関連していそうだ。

ワーク・エンゲイジメントにつながるコミュニケーションや創造的な活動に対して、働く環境がどのような効果をもたらしているのか、今後のさらなる研究が期待される。

「人的資本経営」を共通目標に。人事・総務・研究者が連携する未来

宮中氏のお話から、オフィスをはじめとした物理的な環境が、ワーカーの心理状態や離職・定着といった人事面の要素と結びついていることが見えてきた。ワークプレイスは総務部、ワーカーのメンタル面や採用・定着は人事部と分掌している企業が多いが、今後は両者の連携がますます重要となってくるだろう。

部門を超えた連携を進めるにあたり、宮中氏は共通言語をもつことが有効だと指摘する。共同プロジェクトを始めようとしても、両者の目標設定や普段の業務で使っている言葉が異なっていると足並みがそろいにくい。共通の目標を定め、言葉をそろえることで土台が整い、スムーズに進めやすくなるだろう。

「近年注目を集めている『人的資本経営』は、共通目標として適しているのではないでしょうか。人事施策と特に関係してくるものですが、働く環境の整備も無視できない要素となることから、両部門がともにコミットできる目標になるはずです」と宮中氏は提案する。

人材の価値を引き出すことで企業価値を高める人的資本経営は、文字どおり経営のあり方として提案されている概念のため、経営層からの理解や支援が得られやすいこともポイントだ。人材の価値を引き出す投資の一環として、ワークプレイスへの投資を捉えていくことができるだろう。

人的資本経営を意識したときに、評価や開示への対応も求められてくる。しかし、人材に関する評価指標の設計やデータの取得には難しさを感じる企業も多いのではないだろうか。こうした場面でこそ、宮中氏のような専門性をもつ研究者との連携が重要になってくるだろう。

「『人的資本経営』は、企業と研究者が連携するときの共通目標としても役に立つのではないかと思います」と宮中氏は言う。企業と研究者の間でも目的意識や用語にはギャップが生まれることが多いが、「これを共通目標としましょう」と明確化することで、認識をそろえられるようになるのではないだろうか。

共通目標の設定を第一歩とし、企業の中の総務・人事の間だけでなく、外部の研究者らとも連携しながら、企業と働く人の双方に意味のあるワークプレイス施策が広まる未来が期待される。

 

インタビュイープロフィール

宮中 大介(みやなか だいすけ)
株式会社ベターオプションズ代表取締役。 心理学・産業精神保健学・データサイエンスの専門性を活かし、エンゲージメントサーベイをはじめとする各種人事関連サービスの開発・データ分析や、メンタルヘルス対策・パフォーマンス向上のためのアドバイザリー・教育研修などを手掛ける。慶應義塾大学総合政策学部特任助教として、ワーク・エンゲイジメントや職場ストレスの研究にも従事。東京大学 大学院医学系研究科 公共健康医学専攻修了。MPH(公衆衛生学修士)。日本カスタマーハラスメント対応協会顧問。